2012年5月4日金曜日

歴史に詳しい人に質問です。明治維新のころです。

歴史に詳しい人に質問です。明治維新のころです。

今日の新聞に、まだ内戦をしている国のことが取り上げられていましたが、反政府と政府軍の戦いでぼろぼろになっている国があります。最近、坂本竜馬の本(漫画)を読みました。そして、関連の本を読んだりインターネットで調べたりしました。大政奉還や薩長同盟などで日本を大きな内戦を起こさせずに明治維新を成し遂げたのはすばらしいと思います。それでも、武力による倒幕で犠牲が出ています。もし、坂本竜馬が暗殺されずに明治まで生き残っていたらどうなったんだろうと思うことがあります。皆さんはどう思いますか?







何も変わらなかったと思います。





最近の坂本竜馬ブームに違和感を持つものですが、龍馬は、司馬遼太郎によってイメージを定着化されたといっても良い。

坂本竜馬は、歴史の中の功績では無名で、司馬遼太郎の本が書かれるまで、まったく知られていなかったのです。





反政府体制が好きな竜馬がゆくを書いた司馬良太郎は、戦争に兵隊として参加していた頃から日本批判をしており、戦地からの復員後、大阪市生野区猪飼野東にあった在日朝鮮人経営の新世界新聞社に大竹照彦とともに入社した経歴を持つ。

1950年に最初の結婚。

1952年(昭和27年)に長男が誕生するが、1954年(昭和29年)に離婚。

長男は実家の福田家に預けられ祖父母に養育される。

この結婚および誕生した息子のことは、一切公表しなかった。

彼の著書で語られる乃木批判も、日本批判そのもので、竜馬がゆくと同じ。





司馬は竜馬がゆくを、「すべてフィクションである」とはっきり言明している。





後に書かれた坂本龍馬を扱う書籍は、すべて司馬イメージを大いに利用しただけ。

竜馬は作中で司馬の理想をすべて持たされたに違いない。





そもそも竜馬一人ヒーローになってなしえる変革であろうはずもない。

携帯もPCもFAXもない時代に、日本中が伝染してしまったのは彼の取り巻きが非常に優秀だったと言える。

彼が各地で持て囃されたのは、目新しいものを持ち、知らない西洋のことを語る男だったからだ。

そして、西洋に近づきたいという希望が、持て囃されながら倒幕の野望に変わり、これにひそかに倒幕したがっていた者が続く。

実質的にはそれだけのこと。





時代は竜馬個人の感性・情熱によっても開かれた。

それに賛同する多くの人もいた。

貧乏人の子供に生まれたら、立身出世もまず望めない世界。

譜代大名も予め定められたままにその人生を生きる。

徳川というかつての勝者が善しとする幕政。

こうしたものがあったからこそ、あの時代の男は望む理想を描けたともいえる。





新撰組がいなければ、もっと早く時代は動いたかも知れない。

いま世界中に蔓延する西洋化を見れば・・・いや、龍馬などいなくとも少し覗いて見た西洋の素晴らしさを、みんな求めたと思う。

向かうべき時代の流れは、変えられない。

西洋の兵隊に、人真似小猿とも揶揄されていた龍馬。

何でも(物欲しそうに)言うことを聞く【猿】と云われていたのです。

それが日本では英雄として扱われていると、欧米で云われてるのをご存知か?

こうした扱いは、織田信長の評価や扱いと比較されていて、天と地の差です。

とにかく西洋のみなさんは、大いに龍馬を利用したし、龍馬も利用された。

龍馬とて、キッカケを作ったに過ぎない。

真似をしたに過ぎないかも知れない。





ただ、彼は動機不純だが確実に時代の波に乗った。

かの勝海舟のスポンサーこと、長崎の小曽根家とて西洋の物品目当てだった。





脱藩した下級藩士なんぞ、背後にトーマスグラバーがいなきゃ何も出来ません。

薩長同盟の後、グラバー自身が同盟は自分の考えで手柄だったと言っています。

竜馬に拳銃を持たせ、電話を教え、会社を持たせ、薩長をくっつけさせたと。

グラバーが、利益を手にしたかったから。

武器で倒幕したがっていた薩摩藩の思惑がグラバーの拳銃と合致したのです。

竜馬の交渉の功績によるものなんかじゃない。

トーマスグラバーの歴史を調べていただくとすぐにわかります。

唯一、彼の功績とされた薩長同盟は、薩摩とグラバーの思惑の合致。





海援隊の坂本竜馬と陸援隊の中岡慎太郎が、無抵抗で殺されたのは?

暗殺者が、仲間だったからじゃないだろうか。





ヴィジョンが有ってのことじゃない。



竜馬を愛する方々には誠に申し訳ないのですが、両側から見て欲しい。

過剰に、竜馬にヒーロー像を持つのはどうかと思うのです。








幕府が完全に新政府に恭順することはないでしょう。将軍慶喜は水戸藩からの養子で、そこまでカリスマはありません。実際、幕臣の一部は函館まで戦っています。もしも幕末の内戦がなかったら、幕府関係の旧勢力の考えを待った人が邪魔になるため、明治時代の近代化は大幅に遅れるでしょう。つまり、中途半端な革命になったはずです。そうすれば、日本の周辺の情勢に干渉する余裕がなくなるので、日清戦争や日露戦争もなくなるでしょうが、日本が侵略され外国の植民地となっていたかもしれません。







あまり変わらなかったと思います。



龍馬が望まなくても多少の混乱は生じるでしょうし、明治新政府が出来たとしても竜馬が政治に積極的に参画するとは思えません。多分船で海外に繰り出して、才谷屋の倅らしく商売に精を出したんじゃないでしょうか。



経済界で名を馳せるとは思いますが、政治家として国政にかかわっていく人じゃなかったのではないでしょうか。同じ土佐の武市瑞山(半平太)が生き残っていたら、首相になっていたかもしれないとは思います。







龍馬が生きて活動出来ていたのは行動、言動が

薩長の利益に合致していたからで、徳川家を代表と

する連邦制のような薩長の思惑に反する言動をして

たちまち暗殺です。龍馬が明治まで生き残るには

薩長の意向に沿った行動を取るか何もせず表舞台から

消えるかです。つまり変わりません。

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